【コロナ禍の中高生へ】コロナ禍の部活について思うこと

こんにちは!

とある大学生です!

今回は私がコロナ禍の部活について思うことを書きたい…です!

(ブログ初心者で書き慣れていないので暖かい目で見てください!)

 

そして私と同じように悩んでいる人の助けになれば嬉しいです!

 

  • 自己紹介~著者は何者か??~

  • はじめに…
  • コロナ禍の苦しみ①メディアに心が潰される日々
  •  コロナ禍の苦しみ②感染対策は何のためか
  • コロナ禍の苦しみ③社会的には幸せな悩み 
  • コロナ禍の苦しみ④部活って大したことないもの?
  • 最後に伝えたいこと

 

自己紹介~著者は何者か??~

私は中高6年間吹奏楽部に所属してきました。(まあまあちゃんとやってる方の部活だったかな〜)

部活ではまあまあ重職についていましたが、コロナにより部活動が制限され、コンクールや演奏会が無くなったり合奏が出来なかったりで、そのまま高校卒業しました。

今も未練たらたらですが、私なりに学んだことを少しでも皆さんに還元出来たらと思い、この記事を書いております!

 (もうちょっと高校生したかったなぁ…笑)

 

はじめに…

コロナ禍ではさまざまな自由が制限されました。外ではマスクをしないといけない、会食などは控えるなど…。とにかく色々。

部活はその一種です。

制限というと聞こえが悪いかもしれないけれど、その制限やちょっとの我慢で救える命があるから仕方がないといえばその通り。

ただそれと同時に部活動が奪われたショックは大きい。決してコロナ対策を批判するわけではないし、なりふり構わず部活動を促進するべきだと言いたいわけでもない。ただ青春が奪われたショックは本当に大きいという現実があるだけ。

 

その実情を語ること、そして1年間私が考えていたことをここに綴ることで誰かの助けになったら嬉しいです。 

 

コロナ禍の苦しみ①メディアに心が潰される日々

私にとって実は一番辛かったかもしれないのがメディアです。例えばテレビはもちろん、ツイッターやインスタなんかの広報とかも。

え?何が辛いって…?

無論、部活動についてのニュースとか演奏会の情報とか!

 

私の学校は自称感染対策に力を入れている学校でした(ここについてはまたあとで触れますが)。

部活自体、半年間は全く出来なかったし、再開した後も2人以上で合わせるのは禁止です!みたいな。え、それ吹奏楽部じゃないでしょ?って思ってました。結局卒業するまで合わせは0です(笑)

 

でも世の中の部活は違いました。感染対策をせずに部活をしている学校がメディアでこんなコロナ禍でも頑張ってます!って放送されていたんです。活動が制限されてインターハイも無くなって可哀想っていうシーンがうつったあとに必ずオチとして練習試合は出来ました!とか。ツイッターでも演奏会のお知らせが回ってきたり…

それは強豪校の特権なのか何なのか…対策すればするほど損をするシステムに嫌気がさしてました。

 

きっと誰にも悪意はない、そんなことはわかってるけど自分が傷ついていくこの状態に複雑な思いでいっぱいでした。

 

 コロナ禍の苦しみ②感染対策は何のためか

さっきから私の母校の感染対策について少し触れていますが…

改めて感染対策の目的って何だろうかって考えると…

あくまで個人の意見ですが、感染対策には以下の2つの目的があると思います。

 

1つ目に実質的な感染対策。つまりはコロナに感染しないための感染対策のこと。まあ普通の対策のことですね。

 

2つ目に形式的な感染対策。これはすなわち組織の面目のための感染対策。

この2つ目の感染対策はちょっと気に食わないとか言ってみようかとも思いましたが、そうではなく…

 

私個人としては形式的意味での感染対策も十分に必要なことだと思います。だって信用のない組織からサービスとか受けたくないと思うのは当たり前のことだから。コロナの対策をしているか、してないかわからないような飲食店から食事をテイクアウトするのは少し不安ですものね。

 

ただこれが形式的な感染対策のみになってくる話は別で…

簡単に言うと私の学校は形式的な方ばかりを重視し、体裁しか気にしてませんでした。

部活では部屋で一緒に吹ける人数が制限されていたのですが、顧問はそれを無視して学校にバレなければ良いやという姿勢。さらには日常の学校生活では密ばかりという感じ…にも関わらず合奏は根拠もなくダメって普通に考えておかしいでしょって思ってました。

ここでもやっぱり複雑な思いが芽生えてしまったんですよね。

 

コロナ禍の苦しみ③社会的には幸せな悩み 

部活という存在は私にとっては大きな大きな悩みでした。

しかし実際、今この瞬間も、生命の危機に陥っていたり、コロナで大切な人を失ったり、生活費に困っている人がいたり、昼夜問わず他人の働かなければならない人がいたりなど、私の比ではないくらい苦しんでいる人がいると思います。

ただいくら自分の悩みが本当にちっぽけであることを知っていても、夜も眠れなくなるくらい辛い事実は変わらない。社会的にみた時の自分の悩みと主観的にみた時の自分の悩みにはズレが生じているのです。

 

コロナ禍の苦しみ④部活って大したことないもの?

実はこのブログで一番言いたいのが部活って社会的地位低すぎない!?っていうお話。

 

最初にも書いたけれど、私は決してこのコロナ禍という人類にとって危機なときに部活を促進したいわけではない。けど活動云々以前に部活って社会的に地位低すぎん??

確かに社会貢献をしているわけでもない(一部例外はあるが)、社会にはなくても困らない存在だ。いわば不要不急と言われても仕方がない。

でもそれ以上に教育というのは大切なものではないだろうか。本当は一番急ぐべきものなのではないか。

 

去年色々な大人から言われたのが「中学生高校生の部活なんか大したものじゃない。大人になってみると部活の悩みなんて大した悩みじゃないとすぐにわかるはずだ」ということ。

 

 でもそれって大人からみた自分たちの中高生活のことで、今それを体感してる私のことじゃないんです。別に言いたいことはわかるけれど、くだらないことに真剣に悩んでいると馬鹿にされたようで、何だか納得がいかないし、カチンと来ちゃった言葉でした。

 

最後に伝えたいこと

 コロナという状況下は誰にも変えられません。感染対策をしないといけない事実も。

だけど私はあえて伝えたい。中学高校生活は大したことあるものです。そこで得たものを武器に将来の進路を決めていくのだから。

 コロナという時間を乗り越えるためには、早く立ち直ろうとせずに、辛い時は自分を責めずに自分の純粋な気持ちに寄り添う時間をたくさんとることが大事だと思います。

 

また忘れないで欲しいのは、どんな困難も直接的ではなくても自分を進化させてくれる存在であること。コロナは確かに憎い。でも私はそのおかげで仲間との時間が永遠でないことをいち早く知った。メディアの報道を鵜呑みにして例えば災害のニュースで、復興しました!ってニュースを疑わずにあーもう復興したんだと思い込んだ自分を反省した。その裏にきっとずっと立ち直れずに苦しんでいる人がいるとも知らず。

他にもコロナから学ぼうと思えばいくらでも学べると思います。ぜひポジティブな捉え方を。

そして今できることをするべきです。当たり前だけど。

これは部活の枠を超えても良いと思うし、例えばSNSで何かを発信してみるとかそういうのでも良いと思う。何か自分のやりたいこと、人の役に立つことを見つけられれば良いですね。

いずれにせよこのような辛い状況ゆえ、私だけではない、と思えるだけでだいぶ楽になります。そう感じてもらえるようにこのブログを書いたので、誰かの心の支えになっていたら嬉しいです!

私はコロナ禍で頑張る全ての人を応援してます!